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崇礼門(スンネムン、すうれいもん)は、大韓民国の首都ソウルの中心部中区にある門である。

概要
一般的には南大門(ナムデムン)の通称で知られ、大韓民国の国宝第1号に指定されている。

城壁都市であった当時の漢城(ハンソン)には門が4ヶ所あったが、最も規模が大きいのはこの崇礼門である。一般的な懸板とは違い懸板が縦で書いてあるが、これは冠岳山の火気を阻むための風水地理的措置である。

ソウルで最古の木造建築であり同国の象徴のひとつともなっていたが、2008年2月の火災によって石造りの土台を除いた大部分が焼失した。 解体補修の際に精密な測定が行われており復旧工事は可能である。

歴史・概要

夜間にライトアップされる焼失前の崇礼門朝鮮王朝を建て漢城に遷都した太祖・李成桂は1395年に都の城門の建設に着手し、1398年に完成した。

世宗の治世の1448年、および成宗の十年(1479年)に大きく改築され、冠岳山の火気を遮るようにと2階建てになった。また、明国皇帝の使者が往還する際に使用するようになったことから、明国に由来する礼を崇めるという趣旨で、「崇礼門」に名称が変更された。讓寧大君が書いたとされる懸板も、火気を遮るために縦に書かれた。

その後、幾多の戦乱を経るも、長い間、都の正門としての役割を果たしてきた。

大韓帝国時代の1907年、日本の皇太子の訪問を機とする街路整備のため両側に続いていた城壁が撤去され、門だけが道路に孤立する形で残された。

日本統治時代(1910~1945)、 1925年から26年にかけ、門を挟むように、南に京城(けいじょう)駅のレンガ駅舎、北に京城府庁舎(現在のソウル広場に建つソウル市庁舎)が建てられた。

1934年、朝鮮総督府(植民地経営のため日本が設置した官庁)が、朝鮮の主要文化財を保護する目的で国宝に指定する。

1948年の大韓民国建国後、朝鮮戦争ではソウルの大部分が破壊されたが、崇礼門は一部の損傷にとどまり焼失を免れた。1962年には破損した部分の大規模な解体、改修工事が行われた後、同年12月20日に改めて、同国の「国宝第1号」に指定された。

「元々日本が勝手に決めた国宝であり、日本統治時代の烙印である」として、韓国国内の一部には「国宝第1号」を朝鮮の文化的な「独立宣言」である訓民正音等に変えるべきであるとの意見も根強い[1] 

門への立ち入り
1907年、韓国統監府による門周辺での路面電車(ソウル市電)軌道敷設に伴い立ち入り禁止となった[2]。以来朝鮮戦争後にも門の立ち入りは禁止されたままで、大きな車道に阻まれて近づくことも困難であった。しかし2005年5月、門の南側に芝生の広場が造成されたのに伴って門間近までの訪問が可能となり、2006年3月からは門をくぐることも出来るようになった。

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