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ついに、というかやっと、というか。
宮崎勤死刑囚(1962年生まれ、46歳)の死刑が本日2008年6月17日午前、東京拘置所にて執行されました。
この件について妙な関係があるので、可能な限り記載していこうと思います。
まず、ざっと生い立ちと公判までを。
東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の裕福な地元新聞会社経営の父親の長男として生まれます。
宮﨑家は曽祖父は村会議員、祖父は村会議員を勤めていて、地元の名士だったそうです。
家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人。
手のひらを上にあげられない『両側先天性橈尺骨癒合症』という日本に150ほどしか症例のない障害があったそうです。
地元中学校→明大中野高校→東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学。
俳優の川﨑麻世は宮﨑と同級生になりますが、事件後のインタビューでは「誰に聞いても覚えてなかった」と言われるほど影が薄かったそうです。
短大卒業後は叔父の紹介で小平市の印刷会社に就職しましたが勤労態度は非常に悪く、同僚からの評判はすこぶる悪かったようです。
1986年1月、原因不明の左側顔面変形麻痺が起き、依願退職。夏ごろから家業を手伝うようになる。
この頃からアニメの同人誌を発表し始めます。
1989年7月23日、猥褻事件を起こそうとしていたところを被害者の父親により取り押さえられ、逮捕されました。
1989年8月24日、東京地検で簡易精神鑑定を受けます。精神分裂病(当時の呼称)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まるとされ、これを受けて検察は起訴に踏み切りました。
初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか……」と罪状認否で訴えた。
公判開始後の1990年12月20日より468日間にわたって、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定を実施。この鑑定では動物虐待等の異常行動に目が向けられ、祖父の骨を食べた事などは供述が曖昧なため事実ではないとみなされました。
1992年3月31日精神鑑定書が提出され、人格障害とされます。祖父の骨を食べた件については弁護側は墓石などが動かされた事を証拠としましたが、検察側はそれだけでは確証ではないと反論します。
1992年12月18日より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により678日をかけた再鑑定が始まります。
1994年11月30日に鑑定書提出。第2回鑑定では1人は統合失調症、2人が解離性同一性障害の鑑定を出しました。
1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決。判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていたそうです。
法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていました。弁護側は即日控訴。
2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決。
同年7月10日、上告。
2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却。弁護側は判決訂正を求めましたが、2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行されました。
引用:ウィキペディア
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E5%8B%A4)
以上がすでに故人となった宮崎勤の来歴です。
彼の実家が五日市(現あきる野)であり、勤務先が小平、ということがあり当時昭島に住んでいた私(まだ高校生でした)は、市二つほどしか離れていない場所での残酷な事件にただ驚くばかりでした。
つづく
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〇基本的にインドア派。
〇でも酒とうまい食い物の為ならどこでも行きます。
〇ルックス、知識、経済力、運動神経全てママンの体内に置き忘れて産まれてしまいました。
〇いわゆる低学歴低身長低収入高脂肪。低スペック。
〇非モテ人生まっしぐら。
〇でも楽なので修正する気ゼロ。
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〇来世でがんばろう。